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「ひとりで読んでも、子どもと読んでも」。
そんな本を、丁寧に1冊ずつ紡いでいく出版社があります。
名前は「小さい書房」。その名の通り、それはとても小さく、すべてをおひとりで切り盛りされています。
企画、編集、発行を一気通貫で手がける安永則子さんにお会いして、お話をうかがいました。

触れたくなるような価値

「小さい書房」はこれまで、絵本を中心に9冊の本を世に送り出しています。
安永さんにお会いする前に、わたしは刊行本「せかいいちの いちご(発売:2018年6月)」の原画展にお邪魔していました。

―先日、『せかいいちのいちご』の原画展にうかがいました。製本された絵本とは、また違った色味や味わいをたのしめる内容になっていて、おもしろかったです。

安永さん:ああ!それはそれは、ありがとうございます。実際に見てみると、おもしろいものですよね。「原画展」は積極的に開催していて、あわせてトークイベントをおこなうこともあります。

―トークイベントは、著者の方と安永さんがお話されるんですか?

安永さん:わたしも聞き手としてお話しさせていただくことはあります。ご存知のとおり、やっぱり「作るだけでは売れない」という時代ですから、いろんな工夫や実験が必要です。書店だけでなく、古民家カフェで実施したこともありました。

ー 『せかいいちの いちご』の原画展は、もちろん絵本を読んでからうかがったんですが、展示を見て感じたのは、実際に目の前にある、ということだったり、裏側を知る、というような「体験」の価値でした。一層、作品に対する「愛着」のようなものが増して。

安永さん:そうですよね。実際に見てみるとおもしろい発見がたくさんあると思います。わたし自身も最初に驚いたんです。「印刷と原画は、こんなに違うの?」って。特に「黒」の色の出方の違いにはびっくりして。完成までの様子だったり、原画にしかない味だったり、そういった違いをその場で感じてもらいたいんですよね。もっと好きになってもらえると思いますし。

ー 箔押しされた「特装版」も実際に手で触れさせていただきました。

安永さん:電子書籍でも本は読める時代ですから、なにかそれにすこしでも価値がプラスされているようなものを作りたかったんです。「プロダクトとして持っておきたい」という、所有欲のようなものを満たせるような。そういったものを体感していただけるのも、展示や書店に足を運んでもらってこそなんですが。

ー こういったイベントも含め、安永さんがすベて携わられる、というのはなかなかハードでお忙しいと思うのですが、いかがでしょうか。

安永さん:いまは、だいたい年間2冊の出版がやっとですね。本当はもっと多く出したいと思ってたし、逆に無知だったので「たくさん出せる」と勝手に思い込んでたんですけど。

 

そう笑顔で語られる安永さん。なんと、安永さんが出版業界に足を踏み入れたのは、この 「小さい書房」を設立してから。それまでの彼女のキャリアは、テレビ局員でした。

報道記者として

ーテレビ局をご退職されて「小さい書房」を立ち上げられましたが、すべてを投げ打って独立されるというのは、不安も大きかったんじゃないでしょうか。

安永さん:本当ですよね(笑)。わたし自身、まさか自分がテレビ局を辞める日がくるなんて、まったく思ってなかったんですよ。定年退職まで働くつもりだったので、周囲にも驚かれましたし、自分でも驚きました。テレビの仕事も好きでたまらなかったんです。

ーそんな安永さんの、新たな道に進む決意はどのように生まれたのでしょうか。

安永さん:わたしは、もともと報道の記者をしていたんですけど、事件取材が多かったんです。「警視庁記者クラブからお伝えします」とか、テレビで見ることがあると思いますけど、ああいうこともやっていました。

ー とてもパワーが必要なお仕事、という印象です。

安永さん:事件が起きて、誰かが捕まるという事実がある。だけど、物事にはすべて経緯とか流れがあるわけですよね。「なぜその人が、事件を起こしたのか」「容疑者になってしまったのか」、それを取材して明らかにしていく、というのは本当に熱が入りました。ずっと夢中だったんですよ。だけど、あるとき状況が変わって。

ー お子さんがお生まれになった。

安永さん:そうなんです。エンジン全開で働き続けていたわたしにとって、子どもが生まれてからの働き方は、本当に悩んでしまうところが多くて。取材には時間が必要ですし、その映像素材を家に持ち帰るわけにはいきませんよね。テレビ局の中で編集しなければいけない。それでも、復職して1年ぐらいは「絶対やってやる!」って意気込んでましたね。だけど、いくつもの現実にぶち当たって。

ー 「両立」の難しさですね。

安永さん:しっかり子育てしながら立派に働いている人はたくさんいるんですよ。だけど、わたしには、うまくできなかったんです。本当に悩みましたね。

ー そして、社内異動を決めた安永さん。異動先は、商品開発の部署でした。

安永さん:これまで経験のない分野でしたけど、たのしい仕事がたくさんあって。そのひとつに書籍部門というセクションがあったんです。角川書店さん幻冬舎さん、マガジンハウスさん…など大手の出版社からオファーをいただいて、ドラマのムック本やノベライズ、バラエティ番組の本などを作りました。わたしは、番組プロデューサーと出版社をつなぐ「コーディネーター」という役割です。番組の編集は経験がありましたけど、書籍の編集経験はなかったので、出版社の編集者の仕事を間近で見ていておもしろかったですね。

安永さん:3年ぐらいは、その部署にいました。ゲラをチェックしたり、出版社の方とたくさんやり取りをして、すごくいい勉強をさせてもらったと思います。たぶんわたしは、どんな仕事もはじめて見ると「面白い」って思っちゃう性格なんですよ。なので、本ができあがるとやっぱりうれしかったですし、たのしかったですね。

ー そこから「出版社」の側へ。

安永さん:不思議ですよね(笑)。もともと記者をしていたこともあって、自分で取材して、自分でまとめて、世の中に伝える、という仕事にすごく魅力を感じておもしろいと思ってたものですから、それを一生続けたいという気持ちが自分の中にあったんじゃないでしょうかね。

「自分で作る」を実現するための独立。しかしそこには、「自分で作りたい」という気持ちの他にもうひとつ、安永さんにとって最も大事にしたいものを取り戻したいという想いも込められていたのでした。

「一緒に晩ごはんを食べること」

ー 「自分で作るもの」を、「本」とされたのは、やっぱり書籍部門でのご経験からですか?

安永さん:もちろんそれも大いにありますね。直接のきっかけは、ある新聞記事だったんです。将来についてどうしたものかなあ、と悩んでいたときに「“ひとり出版社”が増えている」というのを見かけて。今思えば、「増えている」と言っても「いくつか事例がある」程度のことなんでしょうけど、わたしにとっては「あ、これだ!」と、もうピンときてしまったんです(笑)。

ー 「見つけた!」というような出会いだったんですね。

安永さん:まさにそうですね。よくあるじゃないですか、他の人にとっては、あるいは他のタイミングで出会っていれば、なんてことのないものも、そのときの自分にとっては、もうこれ以上にないほどの「ピタッ!」とくる話題で。それまで、自分が出版社をやるなんて考えてみたこともなかったんですけれど。

ー やはり、本に携わられていたご経験と、「自分でできる」という裁量や自由度の大きさが魅力でしたか?

安永さん:「記者をやっていました」と言っても、世の中にライターはたくさんいますし。自分にはなにができるだろう、なにになれるだろう、って本当にいろいろ探して、悩んでいたので、「本に携われて」「自分で作れて」「それがひとりでできる」、これ以上のものは無い気がして、ようやく光が射したように感じました。

ー 条件が揃っていたんですね。これまでは大きな企業に務めてらして、その部分の不安や後ろ髪を引かれる想いはなかったんでしょうか。

安永さん:そこは、わたしにとってそんなに深刻じゃなかったんです、「ひとりで」という、いわゆるフリーランスのような働き方にこだわりたかったのにも、理由があって。

ーそれは、なんでしょう。

安永さん:子どもと一緒に晩御飯が食べたかったんですよ。それがいちばんの願いで。

ー ああ…今とても理解しました。両立の苦しさは、その想いがあったからだったんですね。

安永さん:そうなんです。いい母親でもなんでもないんですけれど、純粋に、わたしにとって「子どもと晩御飯を食べる」というのが、とってもおもしろいことだったんです。一緒に晩御飯を食べて、お風呂に入れて、寝かせる。いろんな発見があったり、いろんな変化があったり。あまりにもおもしろいので、もったいなくて、アウトソーシングする気になれなかったというわけなんです(笑)。

ー本当に、その時しか大切にできない時間ですものね。

安永さん:だけど決して、「育児だけがしたい」「片時も離れたくない」ということではなくて。ただ、子どもと晩御飯が食べたかった。でも、わたしは、晩御飯を食べたあと、また仕事がしたかったんです(笑)。仕事もいっぱいやりたかった。だから、会社員という枠組みの中ではなかなか難しかったのかもしれませんね。

後編へ続く!

 

安永則子(やすながのりこ)
1971年生まれ。長崎や福岡で幼少時代を過ごし18歳で上京。                       
東京外国語大学卒業。TBSテレビ入社。主に報道畑を歩む。
17年間勤めて退社し、ひとり出版社「小さい書房」を設立。
好きなことばは「実験」。立ったまま寝たことがある。
HP:小さい書房

執筆:中前結花
ライター、エッセイスト。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事と、これまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを中心に執筆。兵庫県うまれ。